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嫌われる勇気

 

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「なんかちょっと生きづらい」

あなたのこんなお悩みを解決してくれるのがこの本です

世界でなんと1200万部以上売れているこの本。それだけ世界の人々の悩み・苦しみを根底から解放してきたという証でしょう。この本はアドラーという心理学者の考え方をまとめた本です。アドラーはフロイト・ユングと並ぶ世界三代巨頭と言われています。

わたしもこの本を読んだ時、体に衝撃が走ったことを覚えています。そして天地がひっくり返ったレベルでとても生きやすくなりました。

この本の大事なエッセンスを3つだけに絞って10分だけでお伝えすると

①トラウマはない

②課題を分離せよ

③承認欲求を捨てよ

トラウマはない

ちょっとこのような場面を想像してください。

マクドナルドで店員さんを怒鳴りつけているおじさんがいるとします。

「なんでストローついてへんねん!」

どうやらストローがついていなかったことでブチ切れているようです。

原因がはっきりとわかり、理路整然としていてなんだか筋が通っていますよね。この原因論を提唱したのはフロイトです。

ただ、アドラーはこのような原因論を否定しています。

アドラー心理学ではこのような考え方をします。

おじさんは目的があるから怒鳴っている。

店員さんより俺の方が偉いんだぞと相手を威圧したい、自分が有能だと示したい・そのための手段として怒鳴ることを選択している

人間の行動は過去の原因に起因するのではなく、目的によって起こされる。

このように考えます。

あなたがもし風邪を引いて40度の熱が出て病院にかかった時

お医者さんから「風邪ですね!以上!次の方!」と切り上げられたらどう思いますか。「ちょっと待って、原因はわかったから点滴なり注射なり処方箋出すなりなんか対処してよ」と思いませんか。

このように原因だけ見るのは全く意味がないんですよ、大事なのは今後どう対処するかなんですよと言っています。

さらにアドラーはトラウマなんてものはないと言い切っています

ここに「毒親持ちだから結婚できない」と悩んでいる女性がいるとします

「わたしは毒親のせいで結婚できない・・」

アドラー的考え方では「あなたは結婚できないのではない、結婚しないという目的があり、過去を言い訳にしているだけなのだ」

確かに毒親持ちが全員結婚できないのかといえばそうではないですよね。

毒親だったけれども親を反面教師に幸せな家庭を築いています!ウェイ!という人もいます。

井戸水は年間を通して18°cで保たれています。

夏に飲めば冷たく感じ、冬に飲めば温かく感じる。18°cという客観的事実は変わらないのに。冷たい、温かい、正反対の判断を下せます。

このように人生は結局のところ主観で決定すると言っています。あなた次第ということですね。

「⚪︎⚪︎だから不幸だ」というのもあなたが「不幸でいる」という選択をしたということです。変化への不安・変わらずにいる不満を天秤にかけて「変わらずにいる不満」を選択しただけなのだ、と。

こう聞くと「トラウマがない?ぜーんぶおまえのせい!身から出たサビや!言うてわしを断罪したいのか!?」とヤケクソになりますよね。

そうではありません。

「今までの人生が不幸だったから今後の人生も不幸」

というわけではなく

「今までの人生が不幸だった、けれどもこれからの未来は自分次第だよね」

といいたいのです。

原因論をやめて勇気を持って目的論で生きていきましょう。過去は変えられないけれど未来は今この瞬間から変えていけるんだよ、と説いています。

タイトルにもありますがアドラーは「勇気」という言葉がよく出てきます。アドラー心理学は別名「勇気の心理学」とも言われています。あなたも勇気を持って今この瞬間から「私はいま、この瞬間から幸せになる!」という決断をしませんか?

課題を分離せよ

アドラー心理学では人間の悩みはぜんぶ人間関係であると言い切っています

ちょっと待ってお金の悩みとか健康の悩みとか色々あるじゃんという意見が聞こえてきます

「お金の悩み?誰かと比べて多くもらってる少ないだとか、そういうところに行き着くでしょ、はい人間関係」

「健康?この世で人間との繋がりが切れることが怖いでしょ?はい人間関係」

と究極的に突き詰めると全て人間関係一択とする考え方です。

で、「課題を分離しろ」と説いています。

1つことわざで例をあげます

「馬を水辺に連れて行くことはできるけれども馬に水を飲ませることはできない」

ということわざ。

自分が馬を水辺に連れて行くことはできる、コントロール可能。

馬が水を飲むかどうかは馬次第、コントロールできません。

アドラーはこのコントロールできない部分をフルシカトせよと言っています。

例えばあなたにお子さんがいたとして、お子さんが全く勉強しないと。

血相変えて「勉強しなさい!」言いたくなりますよね。我々もそのように育てられてきましたから。

ただ、これも課題の分離ができてない、勉強するかどうかは子供の課題なんですよ、と。

誤解しないでいただきたいのはアドラーは放任主義を勧めているのではありません。

「何歳には家を出て自立しなさいよ」「学校に行かないと困るのはあなたですよ」「そのために塾代とかは出しますよ」とあなたの最大限できることは明示すべき、だけれども最終判断は子供ですよ、子供の課題に土足で踏み込んではいけないよと釘を刺しています。

このように誰の課題かを見極めてコントロールできない部分はフルシカトすると生きやすくなるといいます。

自分の課題であるならばフルコミットすればいいですし、自分の課題でないならば取りうる限り最大限のことをして相手に任せる後のことは任せます、でよい!と。

余談ですがひろゆきさんの「それってあなたの感想ですよね」が有名になったのは「データとか論理がないですよね?」ということを的確に突いたからではありますが、この課題の分離が明確で、当時目新しかったからではないかとも思います。けだし名言ですね。ひろゆきさん並みに課題が分離できると生きやすさマックスでしょうね

リピートアフターミー「それってあなたの感想ですよね」

承認欲求を捨てよ

やはり人間であるからには好かれたい・褒められたい・認められたいありますよね?

なんならいまSNSという承認欲求の権化が世界時価総額トップテン入りしていますよ、承認欲求が世界を席巻していますよ!と。

これだけ自撮りを上げてバエ追求のためあちこち奔走する我々の日々をアドラーは全否定しています。

「承認欲求を捨てなさい。自分らしく生きなさい。他人から嫌われることを恐れていたら自分らしく生きられないよ。」

こう言っています。みなさん思いますよね。ほなどないせえっちゅうねん。と

アドラーは「自己満足しなさい」と説いているのです。

たとえばあなたの会社の掃除のスタッフさんが定年退職されたとします。次のスタッフさんが来るのは未定です。そんな時同僚がトイレ掃除をしてくれました。

そのときに「みんなのためにトイレ掃除した!褒めて!」と言われるのと「俺が綺麗なトイレ使いたかったから掃除したわ〜あ〜すっきりした〜これで気持ちいいトイレ使えるわ〜」どっちが好感持てますか?

前者はちょっと「恩着せがましいな、かまちょだるいわ〜!」と思いませんか?後者の方が「ありがとう」って言いやすいでしょう。

このように「自己満足」を追求することの大切さを説いています。

「自分らしく生きる=嫌われる勇気をもつということ」なにもわざわざ嫌われることをしろと言っているわけではありません。自己満足を追求する上で他者からあれこれ言われることを気にするなと言っているんです。

ユダヤ教の格言で「人間が10人いたら1人はあなたを嫌いになる2人はあなたのことを大好きになる7人はあなたのことをどうでもいいと思っている」という言葉があります。

この1人から嫌われることを恐れてはいけないよと言っています。

無論八方美人で生きることはできます。でもその人生は自分らしさを殺します。窮屈で不自由で苦しいです。

なんなら偽りの自分でも先ほどのユダヤの1:2:7の法則があてはめられるでしょう。

自分らしさを殺して、みんなから好かれるわけでもなく、行き着く先もどのみち1:2:7。

それならいっそ自分らしく生きて嫌われた方がまだ幸せなんじゃないか?と。

例えばわたしはゲームが大好きです。これを人の目を気にして辞めたとします。

でもユダヤの法則で「あいつは趣味がない!」と嫌われるとします。

自分の趣味もできない・そのうえ嫌われる。ダブルパンチです。

それだったらいっそゲームをして「ああ幸せだな!」と思った上で

「あいつまたゲームとか非生産的なことやってる!」

って嫌われた方がマシですよね。少なくとも自分は大満足なんですから。

ちなみにアドラーは承認欲求を否定するとともに「相手を褒めてはいけない・評価してはいけない」とも言っています。

あなたにピアノの趣味があったとします。それを同僚が聞いて「上手じゃん」と褒めたとします。どことなく「上から目線」を感じますよね。

褒める・評価すると言うことは上下関係を作ります、ひいては承認欲求の引き金を自ら作り出すことになる。誰かを褒めるから自分も褒められたくなるのだ、と。

褒める代わりになんていえばいいの?と思いますよね

「褒める代わりに感謝する」ということを推奨しています。

アドラーは「人類は同じではないけれども対等」という意思を持っています。

上下関係は承認欲求を作る、承認欲求を満たそうとすることで人は他者の人生を生きることになる。だから対等に接しなさいと。

もちろん人間として払うべき敬意は払います。敬語とかですね。ただ、そこに「偉い・偉くない」は存在しないのだよ、と。

まとめ

①トラウマはない

原因論(過去)は今の自分に関係ない。今自分がどのような「目的」を持つかが重要。幸せに生きる決断をいま下そう。

②課題を分離せよ

自分の課題はフルコミット。自分の課題でないのであればできうる最大限の手段を尽くしてあとは他人に任せる。土足で踏み込んではいけません。

③承認欲求を捨てよ

承認欲求から「自己満足」というベクトルに切り替えよう。あなたはあなたの人生を生きるのです。

あなたが今幸せではないのは能力が足りないのではありません、勇気が足りないだけなんです。

10分先生的考察

ひきこもり・うつ

とりあえず目的論・原因論云々さておきしかるべき医療機関に行くべき

フロイト的な「原因論」も大切

過去を癒すことで苦しさが軽減される

その際はきちんとしたプロのカウンセラーを雇い、しかるべきフィードバックをもらうべき

たとえばむかし上司にいじめられた、後輩にもしてしまいそうになる自分がいる

友達や同僚を吐口にしてはいけない(解決にならない・傷が深まるだけ)

八方美人で生きてみた

悪口は言われない・むしろ聞かされる

この会社で一番信頼できる人・人間関係のプロフェッショナルとまで言われた

ユダヤでは10人中10人あなたのことをどうでもいいと思う領域になる

結論:都合のいい人でしかない

自分らしさは殺した・苦しい

大好きなゲームもできなくなる(興味の喪失)・うつ一歩寸前

アドラー的に生きてみた

かなりの変人扱いされる

「それってあなたの課題ですよね?」をやると生きやすいがまじで冷徹な人扱いされる

「わたしの課題をあなたが背負ってよ(私のご機嫌取りをして)」みたいな人も世の中にいる。

年功序列を心情に生きている方からは人間としての最低限の尊厳を持って接するも「どうしてわたしをもっと崇めないんだ?ごますりしないんだ?」とやっかまれる。私は姑にいびられた!だから息子の嫁のあなたをいびっていい!的な。

アドラーを学んで「おやすみ前の反省会」をスパッとやめられた

寝る前に「あのときああ言えばよかった!」「自分のコミュ障具合がいやになる!」とひとり反省会をしてしまう方多いんじゃあないでしょうか。わたしも物心ついた時から何十年も寝る前は最悪の時間を過ごしていました。精神科医の先生の本を読み「朝散歩」が良いと知り、何年も朝散歩しましたが、一向によくならず。ただ、それも「勇気」で解決しました。

「寝る前は幸せな時間にすると決断した。今日のよかったこと10個考える時間にする」

そう決めてから寝る前の反省会をすっぱり止めることができました。

「なんだ、これだけのことだったのか、何年も朝散歩することより、最終的には自分が「変わる決断」をしなければ何の意味もないんだな」と、この「勇気の力」に驚いています。

SNSとの付き合い方

結論:つかってもいい(ただし条件付き)

ただしバエ(だれかの承認を求めるもの)はダメ。それは他人の人生を他人の軸で生きることになる。誰があなたの人生を生きてくれるのですか?あなたの人生はあなたが生きるしかない。誰もあなたの人生を生きてはくれません。いまわの果てに自分がどう思うか一度胸に手を当てて考えてみると良い「もっと自撮りをあげればよかった」と言うなら止めない。

10分的SNSの付き合い方はアウトプットの場(自己満足・自己成長の場)として使う

たとえば旅行に行って「ここは坂本龍馬が妻のおりょうとハネムーンで来た場所らしい、日本で最初に新婚旅行をしたのは坂本龍馬だと言うことを学んだ」など何がしかのアウトプットをする場所なら自己満足・自己成長で自分の人生を生きていることになると思うし、そのような使い方であればよいのではないかと思いました。